今回は日本のアーチスト、岡本太郎。
アーチストというより芸術家と呼ぶほうがなんとなくしっくりする。岡本太郎と聞いてみなさんはどんなイメージを持っていた、いるのだろうか。
「芸術は爆発だ!」。「太陽の塔」の作者、絵画や彫刻の他にグラスの下に顔をデザインしたり、テレビなどのメディアにもよく登場し、人の言うことを聞かないで、わけの分かんないことをしゃべり続け、目をむいてる変な人、芸術家、そんな感じじゃないかと思う。
 
私もアートに手をだすまでは似たようなものだった。最初の出会いは今から25年位前、大学生の時、万博記念公園で本物の太陽の塔を見た時からだ。
青い空が広がる中に聳え立つ変な塔、「これは何だ!」、アートまでもをあざ笑っているような突き抜けていく楽天性、無邪気さ、幼稚さ、今まで自分が学んできた「芸術」とは何かが違うぞ。
それから作品を見、著作を読んで私はぶっ飛びました。「今日の芸術は、うまくあってはいけない。 きれいであってはいけない。 心地よくあってはいけない。」「芸術はいやったらしい。」「芸術は下手なほうがいい。汚くたってかまわない。へんてこならへんてこなほどいい。」・・・・・・・。
特殊な技術や訓練が必要で、深刻さ、荘厳さ、そして美しいことが芸術にとって必要なことと考えていた若き日の私はびっくり。
目から本当にうろこが落ちました。
それから絵を描いていくのにとても自由になって、ガンガン作品ができた。本能に身をまかせ、細かい部分を気にせずに、人間的な感情を開放し表現していくことの快感、大切さを作品を創ることで体感できた。
形式ではなく、本当の意味でのアートに目覚めたきっかけだった。
うまく描こう、正確に写生しようとすることだけで、他のどれだけの大切な感覚や感情が失われ、損なわれるのか、美術教育も含め考えさせられた。
私が今、美術教育や障害者のアートに関わっていることの原点がここにある。           
 
岡本太郎の話に戻ろう。今から考えると彼の言説は、その時代の日本の特殊性を意識して、その状況に対する反動的で極端な表現をとっている。
その日本の特殊性とは、芸術ではなく、芸ごとのような絵画や彫刻、それに付随する家元制度そっくりの制度と構造、とその腐敗。グローバルな視点に欠け、内向きで、狭い美意識にとらわれている日本の美術界。
そしてその家元制度から生まれてくる芸ごとのような美術作品を芸術だとし、ありがたがっている日本の社会のことだった。
岡本太郎の日本にたいする批判精神は美術だけから発したものではなく、彼の太平洋戦争時、中国に二等兵として従軍したことの体験を経て、天皇制を含む日本人のメンタリティーにたいする反抗、批評として存在した。
つまり日本の美術界にたいする批判はそのまま日本の社会に向けられたものだったのだ。
 また先に、グローバルな視点と書いたが、彼の言説は一見極端に見えるが、その当時のとても広く深いグローバルな視点によって成立していた。
岡本一平、岡本かの子の子供としてモダンな教育を受け、さらにパリに留学した岡本太郎は、アートではなく、マルセル・モースの下で当時最先端の思想であった民俗学、さらに文化人類学を学び、そこでヨーロッパの起源を問うようなプリミティブな思考、イメージについて考え、今では現代思想の基盤をつくったといわれる思想家達(ジョルジュ・バタイユやロジェ・カイヨワなど)と交わり、またその聖社会学研究会で様々な国のアーチストと知り合った。
そこではギリシア、ローマから続いている芸術の起源を問い否定し、それ以前の呪術的なもの、原始的なものの力を取り戻そうとする本当の意味でのルネッサンスを志向したものだ。
その点では、人間の内側から、個人を夢の記述や精神分析により、内なる父と関係する性的抑圧からの開放しようとしたフロイト、そして外側から社会構造の分析により、社会的ヒエラルキーから労働者を開放しようとしたマルクスの二つの思想を媒体に社会を変革しようとしたシュールレアリズムとも重なるものがあり、そしてその思想はヨーロッパやラテンアメリカ、アジアを貫き共通の基盤をもたらす本当の意味でのグローバルなものだった。
 
パリで学んだ思想やアート、そして二等兵としての従軍体験から、戦後の岡本太郎の全体像が見えてくる。今までは考古学の対象としてしか考えられていなかった縄文式土器をアートとし発見し、コントラストがはっきりしたモノクロ写真を撮影しその後の縄文ブームの礎をつくり、1959年、66年沖縄に旅行し、天皇制以前の神社の原点である御嶽(森の中にある沖縄の女性のシャーマンであるユタが神事をおこなうや社もない、神の降りてくる聖なる空間)に感動し、「イザイホー」とよばれるユタがおこなう神事を取材し、その時の体験をもとに「忘れられた日本〈沖縄文化論〉」を書き、写真集を出版する。
これらもその後、吉本隆明などの思想家から筑紫哲也までの様々な文化人の沖縄に対する視点の根本をつくっている。
その慧眼ぶりには驚くしかない。その後も東北や熊野を旅行し「なまはげ」や「鹿踊り」、「火まつり」などを撮影している。
これらもその後ブームになるずっと前のことなのだ。
岡本太郎が着目した日本は「わび、さび」や「雅」の日本文化ではなく、呪術的、民衆的で力強く、おおらかでセクシャル、そして不合理性、つまり先に書いた意味でグローバルな文化、アートだった。それは土俗的なところから閉塞的な芸ごとを否定していくアバンギャルド(前衛的)な行為でもあったのだ。               
そして別の意味で彼のアバンギャルドな活動が社会に前面的に出てくるのが、1970年の大阪万博の仕事だ。日本の古層からいきなり工業的な文明の最先端での活動。
 その代表作が私が25年前に出会った「太陽の塔」なのだ《作品5》。文明を突きぬけ、万博会場の屋根を突きぬけ、おおらかで力強く、古代と前衛を結ぶ「笑い」それが岡本太郎だ。
 
岡本太郎は1996年に85歳で亡くなっているが、彼の言っていることは古くなってない、どころか、ますますリアリティを持ってきている。それは日本の社会が本質的には変わっておらず、日本の現代アートも表舞台にでてくるものは、私からみればほとんど「わび、さび」「雅」から自由になっていない。彼の絵画や彫刻は時代と共に古くなって行く感じがするが、彼の思想、その著作は古くならない。なぜなら、岡本太郎は、アーチスト、写真家としても大きかったが、思想家としてもっと大きかったからだ。
 
 

 

 
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