アメリカ、アメリカ、アメリカ、なんだかいつもアメリカ(USAのこと)を色々考えている。

 本を読んでいてこんなのをみつけた。
 
明治期にイェール大学で教鞭をとっていた歴史学者・朝河寛一がアメリカ人について書いたものだ。
     神秘の伝説をよりどころとしない、根拠の明白な愛国心を持つ。
     人々の見識のみを信頼し、自由に自国を批評し、反省する。
     著しきユーモアの情を持つ。
     自由な民主主義こそ個人を進歩させると信じ、だれもが強い自信をもっている。
     自由な進歩を願っている弱者には同情の心をもち、他の圧制を脱しようとする国や人を庇護する。(香山リカ著・〈私〉の愛国心より)
 
日露戦争後に書かれたものだが、アメリカの良いところ、疑問をもつところが、今現在とほとんど変っていないというか、それがそのまま混在してブッシュのアメリカ、グローバリゼーションの問題とそのままつながっているいることがわかる。
そして、その主張が極端な形で言説化されたのがロバート・ケーガンの「ヨーロッパから軍事保障、経済、文化においても学ぶべき点はない、アメリカだけが強く正しい。その正しさの価値観を積極的に広げていこう。」というような、ネオコンサバーティブの論理だろう。
 
 そんなことを考えていると、いつもアメリカ人のひとりの画家の事を考える。
ジャクソン・ポロックのことだ。
ポロックは第2次世界大戦後のアメリカのアクション・ペインティング、および抽象表現主義を代表する画家で、戦後アートのトレンドがパリからニューヨークに移ったといわれるが、その起爆剤となったアーティストでもある。
1912年ワイオミング州に生まれ、様々なアートスクールで学び、画家を志す。最初はトーマス・ハート・ベントンというアメリカン・シーン派(地方主義、文学にたとえるとフォークナー、シュタインベックの系統かな?)の指導を受け、アメリカ社会を反映した具象画を描きコミュニズムにも深く傾倒する。
その流れから、民衆運動から発生したメキシコの壁画の影響も強く受け、後の大画面につながっていく発想を得る。その大画面はイーゼルではなく、床に置かれ上からエナメル塗料をたらしていくドリッピングと呼ばれる技法で描かれている。上も下もないオールオーバーと呼ばれる特異な画面だ。
 
ポロックは言う、「このやり方だと、絵のまわりを歩き、四方から制作し、文字通り絵の中にいる事ができるのだから、私は絵をより身近に、絵の一部のように感じられる。これは西部のインディアンの砂絵師たちの方法に近い・・・」。
 
ポロックの制作の歴史を考えると、初期の具象画を経て、オールオーバーになる以前の作品は、ポロック自身がアルコール中毒症のためユング派の精神科医にかかったこともあり、治療のためおこなっていた自由連想ドローイングとホアン・ミロなどのシュールレアリスムの影響はその当時のヨーロッパ芸術の最前線を血肉化するプロセスであった。
そして、それは原始のネイティブアメリカンの宗教芸術におけるアメリカ的要素とユングやフロイトなどの当事のヨーロッパ精神医学の融合から生まれ、結果としてヨーロッパをこえていくものとして成立した。
ポロックは個人の制作の営みの中からヨーロッパを越えるアートを生み出したのだ。
 
 
ポロックが目指したものは人間の深層の普遍、共通なイメージを「無意識」を媒介にアクションを通して、具体化していくもので、アクションそのものにポイントを置いたという点が、イメージだけを追求したシュールリアリズムと異なるところだ。
絵を見てみよう。
一見何が描いてあるのか分からないゴチャゴチャした画面、色彩もふんだんに使われ、なおかつ絵具も厚塗りでゴテゴテしているとっても暑苦しい絵だ。
イメージが生まれてきては、それをアクションが打ち消し、と言う運動をひとつの画面のなかで繰り返しているのでイメージの着地点が見えない。だから、絵を読むということができない。
見る側は絵の中に入っていく具体的な手がかりがないため、迷路に迷いこんだような感覚をうける。ただその迷路は爆発的なエネルギーを発しているのだ。ただ、ただ、画面の表層から圧倒的なエネルギーを受けとり、とても深いものによって支えられているという事は感じられるのだ。
 
ポロックは言ってみれば、無意識を含めた人間の全てを表現しようとしたのだ。矛盾も迷いも超越性も全て、引き裂かれた存在としての人間を、引き裂かれたまま、提出したのだ。
まさしく、現代のゴッホといっていいだろう。
繰り返すが、それはアメリカの沃土に育まれ、ヨーロッパ的な思想を血肉化し、そして乗り越えようとしたことによって初めてなされた仕事なのだ。
 
アクションによって大画面を覆っていくオールオーバーペインティングの仕事よって彼は大成功するのだが、その後スランプに陥り、迷走し、アルコール中毒症の再発で、結局半ば自殺のような死を迎えてしまう。44歳であった。
ポロックの死は近代芸術の終わりと現代芸術の始まりを告げるものと同時に、「芸術家=作品」という神話の終わりも告げるものとなった。
 
 
その現代芸術は皮肉なことにポロックが成そうとした方向と正反対に進む。
何物もイメージさせないアクションだけが画面を覆っている絵画、黒くぬっただけの絵画など、内容ではなくスタイルそのものがすべて、イメージではなく物質としての絵画、そして客体としてのオブジェという思想が生まれ、ミニマルアート、ポップアート、など新しいアートがアメリカから次々に生まれてくる。
消費社会のイコンが反映されたり、社会的文脈、制度に対する批判など、批評性によって現代芸術は成立していくこととなり、日本ではいつの間にか芸術という言葉がアートという言葉に変わる。
極端にいってしまえば、アートは精神を表現するものから、社会の制度、差異を表象するものとなったのである。
そのようなアートの変化は出発点から社会化されているため、方法としてはデザインに限りなく近く、人間の存在の内側まで手が届くことはない。
アートも消費されるものとして存在することとなる。
勿論、この変化はアート自体の問題というよりも、社会構造の変化にともなうものだ。
 
ポロックに戻ろう、最初のあげた朝河寛一のアメリカ人の定義にぴったりとははまっているのがポロックという人間で、彼のアメリカ人気質・フロンティアスピリットなくしては彼の絵画作品はありえなかっただろう。
ある種の楽天的な可能性に支えられたアメリカは、9・11以降のアフガニスタン問題、イラク戦争と続いていく流れの中で、被害と加害の両義性、世界の有限性を、痛みを伴って初めて学んでいる気がする。
もう楽天的なフロンティアスピリットは存在できないのだ。
世界は有限であり、過去のヨーロッパやアジア世界のように戦争を繰り返すことで、生まれてくる思想、哲学、文化がはじめてアメリカにも必要となるだろう。
言い替えれば生身の他者が存在する世界を前提にした文明ということだ。
 
ポロックの半身から成立したアメリカの現代アートはもう一度、片方の半身を考え検証する時代にきている。
経済のグローバリズムによってでしか成立しない文化とは何かということを考えなければいけないということだ。
またまた、ポロックから遠くにきてしまったが、私にとってジャクソン・ポロックとはMr.アメリカのような存在でアメリカの両義性を体現したシンボルでもあった。
昨年ニューヨークのMOMAやメトロポリタン美術館で彼の作品を沢山見たが、やはりその複雑さ、エネルギーには感動をおぼえた。
それは、あらためて絵画そのものの力とは何かを考える契機だったように思う。
 
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