2月の終わりに1週間程ニューヨークにいってきた。ほとんど毎日雪でとても寒かったけれど、色々とおもしろいものが見られた。
 
 まずは日本のニュースでも流れていたクリストとジャン・クロードの『THE GATE』。
これはサフラン色のたくさんのゲートが セントラルパーク中に迷路のようにうねうねと設置されているもの。
日本人の僕にとっては伏見稲荷の鳥居が一定の間隔で続いてゆくの連想してしまう感じで、ちょっと微笑ましい。
ただそのスケールはすごくて、サフラン色にペイントされて同じ色の合成繊維がひらひらとたれている鉄のゲートは、高さ4.87m、幅1.68m〜5.48m、その数7500本。全長36.8km。
計画されてから実行されるまでに29年。かかった費用は約25億円と破格だ。ただ、全体を見ることができるのはヘリコプターにでも乗って上空からでないと無理。そのため実際セントラルパークにいって見てみると、それほどのスケール感は感じられず少ししょぼい。
雪が積もって寒いなか期待してきたのになんだか肩透かしをくったよう。
 
「う〜ん、確かにゲートのサフラン色と雪の白のコントラストは美しいんだけれど・・」とブツブツ独り言を呟きながらも、気を取り直してゲートを次々にくぐりながら、ニューヨーカー気分で散歩道を歩く。
午前中だったこともあり陽の光が雪とゲートに反射して、美しい。歩いているうちに、だんだんやさしい気持ちというか、うきうきしてくる。まわりの人たちも犬を散歩させながら歩いていたり、記念写真を撮ったり、ハイスクール位のティーンエイジャー達も楽しそうにみんなでふざけあっている。
そんな光景を見ている僕もとてもしあわせな気持ちに満ちてくる。「こういうことなんだよな」とつぶやく。
 
日本で生活しているとアートについてはコンセプトや、社会性や、現代性や、論理性、なんたれかんたれ、まず頭で考える癖がついてしまっている。
 
ようするに観念的になり頭でっかちなんだ。
 
まずは見て、触れて、感じて楽しむことを忘れてしまう、まず批評しちゃう、自分も含めて。
 
批評はたしかに必要、でもアートはまず感じるもの。その時感じた感覚を大切にすることから、様々なことが始まり、様々なものが繋がっていく。
楽しむこと、アートを楽しみ、人生を楽しみ生きる。そんなライフスタイルがニューヨークでは根付いている。
クリストとジャン・クロードの 『THE GATE』はそんなこと改めて感じさせてくれた。
つまりはゲートにいる僕を含めたすべての人がアーティストの作品になっていたんだ。
 
 
 
つぎはMOMA。日本人建築家の谷口吉生氏の設計で昨年の11月にリニューアルオープン。そんなこともあって、人、人、人、1時間並んでやっと入場できる。
館内はすっきりとしたモダンなデザインで作品もまあまあ見やすい。
ソファーやチェアーもフィットしていて、なにより数が多いことが ありがたいしうれしい。観光客は連日歩きまわって疲れているんです....。
 
まあそれよりなにより展示作品のクオリティが素晴らしいので、建築よりも1点1点の作品の力に圧倒され、うちのめされ、ため息がでてくる。
戦後アートの中心はパリからニューヨークへ移った。そのため戦後のアートの質が高いのは当然の事だが、それ以前のヨーロッパのアートのコレクションも驚くほど質が高い。
パリのポンピドーセンターよりも充実している。 もともとは僅かなコレクションから始まったものが、その趣旨に賛同した人達のサポートの結果がここまでの規模になるとは...。
抜きん出た経済力でアメリカは歴史を含めて手に入れようとしたことが分かる。
 
アメリカの力を見せつけられ、作品には感動しつつも少し白けた気分にもなる。
観客も日本やヨーロッパに較べてラフでカジュアルでリラックスした感じ。よーするに「oh~!とか greate!」とかいいながら自分勝手に楽しんでる。 会員のシステムはかなり広がっているらしく、多くのニューヨーカーが会員になっているそうだ。 入場するときも行列を尻目に会員はどんどん中に入っていく。
 
ニューヨーク出身の友人が言っていた。「 ニューヨークに住むことを選択する人は文化、アートが好きで興味がある人。物価も高く、治安も悪いが、様々な刺激があるからニューヨークが好きと言う人が多い。」と。
チェルシーのギャラリー街もホイットニー美術館もほとんど同じで、その街が作り上げてきた価値観とアートと人、生活すべて繋がっていて、一体感がエネルギーとなっていることがよく解る。そこではアートは特別なものでなく、自分たちの価値観が作り出すもの、共有しているものとしてある。
そしてそれは理論とか思想 よりもっと皮膚感触に近く、楽しむものとしてある。だからがらくたみたいなひどいアートも出てくるが、同じ意味でとんでもなく個性的で魅力的なアートも生まれ続けている。
アート好きにはたまらない街だ。
 
 
 だんだんアメリカ食に飽きてくると、食べにいくところはやっぱり中華、コリアンということになり、最後の何回かはお世話になった。
とくにコリアンレストランのホスピタリティと料理のおいしさにはずいぶん慰められる。
コリアン、中華、日本食だけでなくチベット料理なんて言うもの食べた。東京も世界中の料理を食べることができるけど、ニューヨークはそれがそのまま店の外の世界と繋がっていて、その感覚はアートと共有されている感じがある。
 
 よくいわれる多民族社会の構造が持っている感覚が街やアートによく反映されている。
それらはポジティブなものだけじゃなくネガティブなものも含めてエネルギーとなって外部に露出している。
 
フランスでも今マグレブの書き手が注目されていると聞く。
アルジェリアやモロッコなどフランスの旧植民地出身の書き手がフランス語を使い思想や文学を作り出す、そのねじれ歪んだエネルギーが新しい文化、アートを生み出し、見えなかった問題を見えるようにすること。
 
コークやマクドナルドではない別なグローバリズムの形のヒントがニューヨークにはある。
フラットでない様々な問題を抱えながらもポジティブ、多様性に富む寛容な社会を目指す街とともにあるアート。
 
東京も抱えている条件や問題はニューヨークと似ているのだが、そのエネルギーは外に吐き出されることなく、逆に様々な問題や多様性、時には寛容ささえも抑圧し隠蔽するネガティブなエネルギーとなって街全体を覆っている。
 
ニューヨークをただうらやましがっていても何にもならないだろうな。               
 
  
 

 

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