「アウシュビッツの後で詩を書くのは野蛮なことだ。」―ドイツの哲学者アドルノの言葉は、サルトルの「飢えた子供たちの前で哲学は有効か」という言葉とともに、現代の社会、文化、芸術を考えるうえで重要な問いです。1945年以降、現代アートの様々な試みの中でそのアドルノの問いに真正面から答え、現代的必然性を強く感じさせてくれるアーチストがハンス・ハーケです。
 
図版1の作品は東西に分断されていたベルリンにあった旧東ドイツの監視塔です。「死の通路」と呼ばれ実際に使われていました。その監視塔にメルセデスの星のマークを設置したインスタレーションと呼ばれるジャンルの作品です。監視塔の表側と裏側にはそれぞれ次のフレーズが銅製の文字で掲げられています。
 
 
シェイクスピアの『備えこそすべて』、そしてゲーテの『芸術は常に芸術である』。この2つのフレーズはメルセデス社がニューヨーク・タイムズ紙などでの広告で実際に使用しているキャッチフレーズです。想像してみてください。ハーケはなにを表現しようとしたのか。
 
ハーケは言います。「ダイムラー・ベンツ社はヒトラーの権力の獲得をすこぶる容易にしたドイツ諸企業のひとつである。その社長も会長も、SSに所属していた。第2次大戦中に大半の飛行機と車のエンジンはメルセデス社が付けたものである。(中略) 80年代には、ダイムラー・ベンツ社はイラクに対して、ヘリコプターや軍事車両やミサイルを売っており、ときにはフランスの同業企業と組んで行っている。」 
 
シェイクスピアとゲーテの言葉はもともとの文脈から切り離され、本来付与されていたであろう意味とは無関係に広告のコピーとして使われています。もし仮に、監視塔に掲げられたフレーズが偉人の残した言葉と知らなかったら、あるいはもしそれらのフレーズがダイムラー・ベンツ社の社長によって発せられた言葉だとしたらどんな風に感じるでしょうか。
 
ある種の意味でブランド化しているゲーテやシェイクスピアの言葉を企業が彎曲して利用することで、保守的な価値観を宣伝してその価値観のなかに市民をからめとろうとする、またそれがあからさまにならぬようソフトに隠蔽するたくらみ、そうした企業の隠された意図が、ハーケの作品によってはっきりと見えてくる仕掛けになっています。
ドイツは日本よりも戦後処理を真摯に取り組んでいることで知られていますが、そういった中にも歴史、戦争の具体的な暗部があり、ハーケはその暗部と企業のイメージ戦略にアートという手法をもって鋭く切り込んでいきます。 
 
図版2の作品は1993年のヴェネチア・ビエンナーレ(国際的な現代アートの展覧会で国別に出品するシステムになっていて、現在でも続いている。)で発表された作品です。ドイツマルクのコインの模写、1934年にビエンナーレを訪れるヒットラーの写真を組み合わせたインスタレーションです。ここではアートが政治のプロパガンダに利用され、一般市民をナチスのイデオロギーに共感させるためにアートが道具にされていくプロセスを切り取り現代に蘇らせています。
実際、1934年ヴェネチア・ビエンナーレの出品作品は、ナチスのテーゼ「健康」「美」「古典」「理想」といったテーマを掲げたヒトラー、ゲッペルスお気に入りの作家で占められていました。それらお気に入りの作品を今見ると空虚そのもので、ひどいものばかりですが、当時は素晴らしいアートとして宣伝されました。
 
そして現在でもアートを様々なプロパガンダに利用するそのシステムと危険は巧妙に隠蔽され存在し続けています。
たとえばファッションで有名なカルチェ財団は企業メセナと称し、アートを資金面で援助していますが、そのカルチェ社の社長であるアラン・ドミニック・ペランはこう語っています。「メセナ(アートを企業が資金面などで援助すること)とはコミュニケーションの素晴らしい道具であるばかりではなく、それ以上のものだ。つまりメセナは世論を誘惑する道具なのだ。」と。勿論、本当に自由にアートを援助する自覚的な企業もあります。
しかしアートという一見自由で高級(?)なイメージを利用して自らのイメージアップをはかる企業もたくさんあります。
 
再びハーケの言葉です。「「真・善・美」であるものを定義する行為は、芸術という教区の政治が想像できることを大幅に上回ったものなのだ。言語の定義とは、イデオロギー的、政治的なマネージメント―百年にわたるビエンナーレの間に、どんなものがパビリオンの中に陳列されたのかを検討すれば、復元するのは簡単なことだ―に属しているのである。」
 
ハーケの方法は、ー見関係のない遠く離れてあるイメージ、事物を組み合わせることによって、新鮮で意外性のあるイメージをつくりだすことです。
新鮮で意外性のあるイメージを成立させること、それはまさに世界中の広告代理店の手法そのものです。
ただ異なるのはこの方法によって、どこまでいけるのか、何が見えてくるのかです。
広告はイメージによって物事を隠蔽する方向にいくのに対して、ハーケの方法はイメージを露わにし企業や国の隠されたメッセージを暴き出すことで、見る側を覚醒させていきます。
アートという人間の想像力を喚起させる方法で、現実の裏側にあるもうひとつのシステムを見えるものとしていくのです。
スイスの画家パウル・クレーが言った「見えないものを見えるようにするのが芸術です」という言葉がここにも生きているのです。
 
 
 
アートを見ることは楽しいことです。「美」と呼ばれているものの内には正義、愛、真実、倫理、退廃、異常など種々な要素が多声的に重なりあい、それらが混然一体となってひとつの作品を成立させています。
たったひとつの意味に還元されるものでもありませんので、あまり意味にとらわれてしまうとかえって解らなくなります。感覚的、全体的(右脳的)にとらえて、一見曖昧な領域を楽しみながら感覚的に作品の世界を旅することが現代アートを見ることの始まりです。
先日、新聞を読んでいたら、2003年のドイツの対外武器輸出額が前年の4倍になり、武器輸出では世界第4位になったという記事を偶然目にしました。 
 
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