年末にソウルにいってきた。観光でいろいろほっつき歩き、サムソンが新しく作ったリウム美術館などをみてきた。

7年ぶりのソウルは、表面はきれいになって東京みたいだったが、やはり韓国のどこかディープな感覚に浸って生き返った。ソウルの京東市場をぶらぶらしていたら、檻に入れられている犬をみつけた。なんだか妙な感じがした。
よくよくまわりを見てみると生肉がごろりと並んでいる。犬肉の専門店だった。檻に入れられていた犬は食用の犬でこれから屠殺されるであろう存在だったのだ。どうりで妙にぶよぶよしていて大きく、生命感が希薄な訳だ。最近はペットとしての犬しか見ていなかったので、その食用犬の外観に少なからずショックを覚えた。
 そのショックはきわめて視覚的なもので、道徳的なものではない。その店を通り過ぎ、しばらくして画家のフランシス・ベーコンの作品や言葉がよみがえってきた。
これから屠殺場に引き出されようとしている動物について、ベーコンは「死の臭いがして、屠殺場と肉に心をうごかされていた。そしてそのイメージは私にとってキリスト磔刑と分かち難いものだ。」また、「われわれは肉であり、いつかは死体になるわけだ。肉屋の店にはいると、そこにいるのは私ではないのが驚くべきことだといつも思ってしまう。」
 
今回はそんな「肉としての存在」、人間の実存的不安を表現したと言われている画家のフランシス・ベーコンについて感じるままに書いてみたい。
第二次大戦後アートのメインストリームはヨーロッパからアメリカに移り、ニューヨークで生まれた抽象表現主義とよばれた新しい抽象絵画のスタイルが世界のアートシーンを席捲した。
F・ベ−コンはそんな時代の流れに関係なく、既に終わったとされていた具象画、それもヨーロッパの伝統である肖像画を主に描き続けた画家だ。ただ、驚くべきはその内容というか、表現されたものと方法だ。
文学的に表現すれば、多くのベーコンについての解説にあるように  「声なき人間の叫び」「人間存在の根本にある不安」を描きだした。その歪み、激しく変形され、口を開け、叫ぶ人間の肖像はグロテスクで、確かに見るものを不安にさせる。そしてその人物を表現する方法は、細かい部分を描き込んでいく説明的な写実ではなく、大きな刷毛をざっくりと使い描き、直接見る人間の想像力に訴えかけてくる方法だ。また、絵具を手に持って描きかけのキャンバスに投げつけ、絵具の盛り上がりなどの物質感やとびちりの形からイマジネーションを得て、官能的な形態をつくりあげている。また、生身のモデルではなく写真を使い独特の写真論でも知られている。さらにフランスの現代思想家G・ドゥルーズが「F・ベーコン」で論じているように、その色彩のもつヴァリエーションと拡がり、官能性もベーコン自ら語っている「神経組織に忠実な絵画」をつくりあげている重要な要素だ。
 
そうなんだ、ベーコンの作品のまわりをくるくる回る言説ではなく、この「神経系統に忠実な絵画」とは何だろうっていうのが学生時代からベーコンについて考えてきたことだったんだ。
 
ベーコンの絵画を見ると視覚ではなく確かに神経がなにやらざわざわし、こっちまで叫び出したい感情に駆られる。先に書いたように人間が歪み、叫び、絵具が厚みを持ち、べったりとキャンバスについている。その絵具が単なる物質ではなくイメージそのもの、生きている何かに感じられてくる。それが解釈ではなく直接こちらの神経に入ってくる感覚。
薄いキャンバスに絵具がのっているに過ぎないものが、深さを持って立ち現われてくる不思議さ。
これがアートとしての絵画の魅力なのだが、そのなかでもベ−コンの作品の深さは、より深く私の何かを揺さぶるのだ。
何かの極限、恐怖、不安、残酷、そんな説明的な言葉がでてくるが、もっと違う何か。しいて言うならば生きている人間そのものに、時として感じる感覚そのものに近い。生きている人間が目の前にいる、一定の容量と物質を持ち、存在そのものとして生きている。そこに解釈や説明はその存在から遠いものだ。肉としての人間が立ち現れ、まさに神経組織に入ってくる感覚。
つまり日常では既に知っている世界に生きていて、その中では感覚は閉じられている。たとえば、風邪をひいたり、切実な何かを失ったりすると、いつもの身の回りの風景や人がぐんにゃり歪んだり、あれ、この人こんな顔してたっけていうように、普段とは異なった様相を帯びることがある。そんな感覚がベーコンの絵をみるとよみがえってくる。
私の絵画からも、よく暴力を感じるといわれるが、暴力を感じさせる何かが作品の中にはいってこないと絵画が開いていかないのだ。言い換えれば、作品を見る人を、暴力を通じ、通路を作り、開かせたいという感覚があるからなのだ。そんなところもベーコンの作品に惹かれる理由だろう。
特に現代日本では幾重にもはりめぐらされた真綿のバリアーが私たちを覆って、擬似的なヒューマニズムや民族観が共同幻想をつくりあげている。しかしその真綿のバリアーを剥いでみれば、そこには恐怖や残酷、不安などベーコン的人間の要素が多く存在している。そしてその存在の残酷さにしっかりと手が届いているアーティストがフランシス・ベーコンなのだ。
 
再びベ−コンの言葉を引こう「人は希望が全然なくても楽天的になれるんですよ。人間の基本的な性格は全く持って希望を欠いていますが、人間の神経組織は楽天的な素材でできているんです。」
彼には強烈な毒素とある種の退廃がある。そして、彼の作品の魅力は倫理的なもの、社会変革的な理念ではなく、彼の感覚、神経系統に忠実であろうとする自らの欲望に忠実なだけなのだ。
 
私がソウルで出会った犬はリアルな世界だったのだ。

 

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