8月の終わり頃から約一ヶ月上海に滞在してきた。
上海のギャラリーに毎日通いアートフェアーに出品する絵画作品を制作する為の滞在だったが、当然毎日絵を描いているのは辛いしつまらないのでできるだけ街に出て歩きまわることにした。
初めての中国、上海ですべてが新鮮で驚きの毎日だった。もともと中国はそんなに行ってみたいと思っていた国ではなかった。どちらかというと、行ってみたくない国のひとつで、美術や歴史に興味があっても、たとえば最近のダンボール入り肉饅頭事件や反日デモ・教育などの情報から敬遠していた。ところが、いって暮らしてみると、これがそんな部分的な情報ではとても捉えきれない現実があることがすぐにわかった。
妙なデザインの高層ビルが乱立している市街の高速道路をタクシーで走っていると一瞬、未来都市を走っている浮遊感に包まれて気持ちがよくなり、ここが中国だということを忘れてしまった。
かと思うと1930年台の旧市街が、上海中心部にそのまま残っていて、その中に入り込むと革命以前の生活をおくり、時間の流れが止まってしまったかのようにも感じてしまう。旧フランス租界にあるおしゃれな通り准界中路のすぐ裏が開発中で瓦礫の山になっていて、そこで母親が子供をおしっこさせていたり、バッタ物の物売りがやたらしつこく、ニコニコしながら寄って来るがその目は笑ってはいなくて冷たい光を放っている。
そんなことがあらゆる領域で存在しているのだ。未来と過去、そして美しいものと醜いもの、富めるものと貧しいもの、そのコントラストの強さと幅の広さが日本に生活していたら理屈ではわかっても実感する事は不可能だったと感じた。
そして目に見える光と影のコントラストの向こう側にさらに暗い闇があることが感じられてくるのだ。
 
 
上海はもともと商業都市で1920年代くらいからフランス、イギリス、アメリカ、日本などの企業が進出し租界を形成した。そのため中国古来の文化と西欧文化、さらに日本文化など様々な文化が融合され「魔都上海」と呼ばれる都市となり、30年代はその文化を享受した中国国内でも極めて独特な都市となった。(この時代に上海に渡った日本の文学者も多く、横光利一の「上海」、金子光晴の「どくろ杯」などがその時代の上海の空気を良く伝えている。)
その後の上海は第2二次大戦、中国共産党の政権樹立と毛沢東独裁、続く文化大革命、小平の経済政策、天安門件の影響など様々な時代の波にかきまわされ、1990年代前半にはすっかり元気がない地方都市のひとつとなったが、経済政策の転換により上海も次第に元気を取り戻す。もともとあった文化的蓄積や商才などに培われた上海人気質によって中国の経済の3分の1を握るまでに回復し、街もものすごいスピ−ドで現代化していくこととなる。
それとともに文化・芸術にも力を注ぐ方向となり、衛彗の小説「上海ベイビー」にでてくるアートな若者や退廃した風俗が、現代の上海をリアルに表現したものとされ、「上海ベイビー」は中国国内で発禁処分なり話題をさらった。(1980年代後半に日本に留学した上海出身の友人のアーティストは、久しぶりに帰るたび、「全く違う都市になっていてまるで浦島太郎みたいだよって」笑った。)
 
そんな時代の真っ只中に私は上海に訪れたわけだ。
 
 
そんな文化政策の反映が5回も通った上海博物館と「M-50」と呼ばれるギャラリーエリア。上海博物館は1996年に上海の中心、人民広場に新しく建設され、リニューアルし本当に上海市のシンボルとなった。
中国国内で最もスケールが大きい博物館でその収蔵品は12万個、数もすごいのだが、驚いたのはその質の高さだ。
あの悪名高き文化大革命の時代、破壊されず生き残った美術品。それらの作品はため息が出るほどの作品が目白押し、日本での展覧会用に収蔵品の中から目立たないものひとつ持ってきても話題になるほどのレベルの高さにぐったりする程だ。
特に青銅器はその緻密さ、完成度、美しさはもちろんなのだが、その向こうに得体の知れない感覚を感じ眩暈がした。
 青銅器の文様が生き物のように次第に動き出し、見るものに襲いかかってくるような獰猛な感覚。実際、文様の元になっているイメージは人の顔や動物の顔がモティーフで、青銅器が作られた時代の価値観、宗教、政治すべてがその文様の中に表現されている様で恐怖すら感じた。
簡単にいってしまえば呪術的という言葉が最も適当なのだが、以前岡本太郎について書いたテキストで、縄文式土器の文様に呪術という言葉を使ったが、同じ呪術でも、縄文の明るく快活な呪術と違い、古代中国青銅器は息苦しく重い。拘束される感覚があり暴力的ですらあった。
多分それは古代中国(春秋時代・商など)の中央集権的国家権力が絶大で、政治・宗教・文化など全てを菅理し、あらゆるものに死の影が存在しただろう。
たとえば、青銅器を作る職人は、型に銅を流し込む際には気泡ができないようにする卓越した技術と集中力を必要としただろうし、失敗し、少しでも気泡が見つかったら死を意味したであろう。
そのようなぎりぎりの境界線が、いくつも制作するプロセスの中にあり、その抑圧的な生と死の境界線は青銅器職人だけでなく、社会のあらゆる層に浸透していただろうと想像する。本当にため息がでる。
また、青銅器の現代彫刻のような抽象的フォルムの美しさも付け加えて置きたい。
 
少ししか展示してなかったが、甲骨文字も非常に呪術性が高く、「刻む」・疵をつけるという行為がもっている初源性がはっきりでていてやはり死の香がした。また、玉(翡翠)の工芸品も単なる工芸の粋を越えて神秘的で力強い美しさを感じて所有したい欲望に駆られた。
 仏像や塑像などの立体もフォルムが大胆でざっくりしていておおらかかつ優美な感じがする、さらに自由さも感じられ、意外と現代中国のアートと共通の造形感覚を感じて発見だった。  
 
博物館収蔵品全体として感じたのはそのスケールの大きさ、歴史のつながりと深さ、そこに見え隠れする当時の権力者たちの力だ。あらためて日本の美術品のことを考えると、日本の美術の特徴とされる繊細さや密度などは、大陸の文化がベースにあり生まれてきたことがはっきり理解される。
文化的な意味で日本は、中国の属国であったということが様々な収蔵品の比較から、どうしようもなく実感された。
1ヶ月の間、中国に住み中国人と接し、テレビを見、仕事をしていて生じたどうしようもない、ある感覚。
それは、中国は世界そのもの、世界の中心であり、ここ中国での日本は少数民族のひとつにすぎないという洗脳にも似た感覚。そんな感覚が生まれてくるのだ。
そして、それほど中国は広く、闇が深い。その感覚は博物館で美しい収蔵品をみて生じた感覚と、とても近いことが驚きであり、失望でもあり、同時に深く納得した感覚だ。
それは古代の美術品にも、現代中国の様々な断面にも共通して流れている歴史と民族の、大きな死の塊のような遠近法の感覚だ。
私は数々の作品に感動しながらも打ちひしがれ、博物館を後にしたが、その後、時間があるとたびたび博物館に通った。
 
 
上海のもうひとつのアートな場所は「M-50」と呼ばれている地区で、使わなくなった工場街を行政がバックアップし、ギャラリー街に生まれ変わった場所。
主に現代アートのギャラリーが100件位集中し、上海の現代アートの発信地となっている。
やはり北京にも「798」という同じコンセプトのギャラリーエリアがあるが、北京の「798」が先にでき「M-50」は後からできたものだ。
この事に象徴されるように現代中国では政治の力が、文化にも影響しているという意味においても、文化・アートの中心は北京なのだ。上海はこれから文化的に盛り返そうとして様々な企画を計画している(わたしが参加する上海アートフェアーもその一環。)。
そんな「M-50」なのだが、使わなくなった工場やビルを改造してギャラリーに使用している為、すごくチープだったり、やたら広いギャラリーがあったりするが、固まって在るためとても見やすい。
アーティストが自分の仕事場とギャラリーを運営していて、1年中その本人の個展を開催しているギャラリーだったり、明らかに昨日の夜は、アートについて熱く語り合ったと思われる宴の後が、ギャラリーの片隅に残っていたり、展示方法も床にたくさんの絵画を立てかけて、とにかく沢山の作品を見てほしいという情熱にあふれている。
そんなまだ型にはまっていないエネルギーがとにかく熱い。
 
ギャラリーはたくさんあるのでサクサク見てまわることができて楽しいのだが、内容的には???というものも多かった。
ヴァリエーションが豊富で玉石混交、インスタレーションなどの現代アートから水墨画まであるし、日本だったら現代アートのカテゴリーに当てはまらないであろう人物画や古いタイプの抽象絵画まである。もちろん、これぞ現代絵画というようなぶっとんだ作品にも出会えるのだが、どこか表面的で、ある意味お金の臭いもぷんぷんしてくるのだ。
聞いたところによると、中国は今、アートブームで作品が何百万円もする作品がよく売れ、成功し若いアーティストもたくさんいる。
その為、そのアートの内容ではなく投機の対象になっている側面もあり、熱い肯定的なエネルギーだけでなく、どこか計算高く醒めた部分も感じた。
しかし、私が最も興味をもったのは、そのようなアートを巡る周辺的な事柄ではなく、作品の内容そのものと、作品が生まれてくるアートと社会のコンテキストだ。
そこで、強く感じたのは「近代」というものが、中国のアートにはすっぽりと抜け落ちていると感じた事だ。
人間の内面と表現されるものとの関係性が希薄で、表現のイメージが記号的、タッチや色彩に個人的な感覚のこだわりが反映されていないため、全て意味化されすぎ、作品に拡がりが感じられない。その為、すべて予定調和的な作品が多いのだ。
 
小平の経済開放路線以前の中国のアートは農民や労働者を賛美し理想化する社会主義リアリズムや毛沢東・共産党・共産主義賛美のプロパガンダ絵画がほとんど。
そして現在の美術教育もさすがに社会主義リアリズムやプロパガンダ絵画は減ったものの、その路線に沿いものや人物などを写実的に描写するスタイルや、プロパガンダと関係する表現主義的なスタイルが主流だと聞く。
そのせいか西欧近代のキュービズム、シュルレアリズム、抽象表現主義などの様々なアートのイズムや形式を通過した痕跡がまるでなく、そのまま様々なメディアを取り込んだ現代アートの形式に突入している。
それはある意味中国と現代アートとの蜜月というべき状態で、現代アートが持っている特性であるポストモダニズムによる西欧の相対化、それに関係する社会・政治の情報性の形式と中国アートの中にある古いプロパガンダ性の体質が奇妙に相似系をなし、現代中国アートが成立しているのだ。
 
たとえば、「M-50」で見たもので異なるアーティストがつくっているが、なんだか似ているなあと感じた作品が多くあった。
人民服を着て毛沢東語録を握り締めている紅衛兵を描いている絵画。大画面、どぎつい色彩で描かれているところまで似ていた。
キャラクター化された毛沢東の肖像。
マシンガンをもった長髪、美少女の人民軍兵士(まるで日本のアニメのようだ)の絵画のようなものまで類似した作品があった。
多分テーマは流行し共通しているのだろう。先に書いた中国社会、近代中国共産党史のコンテキストとの関係性がアートの生まれてくる場所になっているということだ。
たとえば長征や文化大革命に対するイロニーあるいは批判、あるいは憧憬。
そしてそれらを対象化しないまま消費社会のシステムを取り込んだ現代中国を批評することがスタイルになっている。
私が知らないだけかもしれないが、天安門事件を扱ったものはない。ただ、世代的に天安門世代の作家は少なく(実はこの世代のアーティストの多くは天安門事件により投獄されたり、海外に逃亡していると聞いている。
数少ない例外は蔡国強や映画監督の陳凱歌など)それ以降の世代が中心だ。
そのためか当事者として痛みに対する感覚が薄く、問題が外在化されていると感じた。そこが表面的だと私が感じたところなのだ。
そしてそんな傾向のアートが、もてはやされ同時に売れていくトレンドになっていることも興味深いのだが、さらにそれが現代中国の絶好のプロパガンダになっているというイロニーだ。
現代中国はこのような体制批判をする表現の自由も容認している国家ですよ、ということが見事にアートを使い世界に発信できてしまっているのだ。
アーティストは真摯に制作し社会に問いかけていることが、うまく利用されている結果となる。
勿論、中国のアーティストもそれをまた利用し、行政のバックアップを受け権力側に気が付かれないような複雑なイメージや方法で現代中国を批判していく方法をとる。
 
中国現代アートは消費対象となりながら、同時に中国民主化運動と重なり、さらに中国のプロパガンダにもなっている。
この複雑さとねじれが、中国ならではというか、数々の激烈な歴史を生きてきた一筋縄ではいかない暗い闇だ。
また、それだけ日本より中国のほうが現代アートの社会における重要性が高いということだろうし、何処まで言ってもある種のプロパガンダ芸術の域から出られないということでもある。
ただ、アートを個人的な表現ではなく徹底的に社会的な表象として考えると、中国のアートはそのねじれと複雑さにおいて今一番面白いのだろう。
 
 
今回はかなりの長文となってしまったが、書いても書いても中国について感じ考えたことに追いつかないのが実感だ。とにかく日本人の経験による尺度では、はかれない膨大な歴史と闇の塊が感じられるということが今回の短い滞在で深く考えたことだ。
 アートも勿論その文脈と深く関係している。
 
上海ではJCJの会員で中国生活が長い田岡子さんに大変お世話になりました。田岡氏と一緒にいった、トルコ系なのに中国人の経営するイスラム料理屋さん、中国の広さを実感した始まりでした。
また、上海の画廊は写真撮影が禁止になっている所がほとんどで、テキストに関係する適当な画像を手に入れることができませんでした。
 
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